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2010年06月15日

前にすすめよ

「科学」という言葉の由来知ってるだろうか?

明治維新以後、西洋から"science"と言う語が入ってきて、当時それに当たる日本語がなかったので明治期の知識人のひとりである西周が訳語をつくった。
ちなみに"love"さえもなかったとか。←それまでの日本人に「愛」がなかったということを想像すると…w

[参考]
西周が作った訳語
技術・芸術・哲学・主観・客観・本能・概念・観念・帰納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・知覚・感覚・総合・分解 など


「科学」の「科」の字は「分ける」という意味を持つ。つまり〈分かれた学問〉とうこと。
参考までにwikiには
「科」とは「一定の基準を立てて区分した事柄の一つ一つ」と。

どういうことかというと。
例えば、物理学・数学・心理学・医学・歴史学・政治学・経済学etcなどみたいに。

こういった具合いに「科学」といった言葉ができたらしい。


だがこの世はそんなバラバラな学問が融合したものであり、ひとつやふたつの学問で処理できるようなものではない。

もちろんひとつひとつの学問をしっかり研究することも大事。
しかし、近年そして未来は学際的アプローチをよりいっそう求める。


なぜこんな話題を書いたかというと…

ぼくが通う「人間科学部」ではまさにこのような学際的なことを研究している。

さあ、気づけよ。
あなたが今やらなきゃならないことを。
大学の中では「落ちこぼれ」とかなんだとかグダグダ言わないで。←自分は思ってないけど。


それは、世間的にはまだあまり認められてないからそう感じるだけでしょ?
しっかり物事を考えれば、もっと自信をもっていいはずだ。


自分の周りの環境をもう一回相対的に見直して。
自分のやるべきこと、やれることを考え直してみないか?
posted by もーすけ at 23:45| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

not「説」but「現実」

今回は特に深い内容はありませんが…w

以前「ナダルNo.1復活説」というブログを書きましたが、「説」ではなく「現実」となってしまいましたね。

まず、ラファ全仏優勝おめでとう!
ずっと応援してきたものとして、去年破れたソデリンに勝って優勝したことは本当に嬉しい。
テニス=全仏優勝のナダル、世界ランク1位に返り咲き.jpeg

今シーズンのナダルのプレーの変化というよりは良いところを見てみよう。
高い攻撃力をもつ選手との対戦で顕著にあらわれていると思う。
例えば、決勝(vsソデリン)。
ソデリンの大砲に、むかしのナダルのような「完全防御テニス」しかさせてもらえてなかった。
しかし、今ナダルは攻守の切り替えが実にはやい!!!
3mほど後ろで防御体勢をしているナダルが、甘いボールがくると一瞬にして攻撃体勢へ。
今までだったら慎重につなげていたところだ。
攻撃力の増したナダルだから、それで一発で逆転してしまうんですよね。
本当に強かったですね。


ところで、今回の全仏はある二つの方程式のどちらが正しいのか証明するものとなった。
というのは…

「クレーコートのマスターズをその年とった人が優勝する。」(ガウディオは例外だけどw)
「近年、グランドスラムではフェデラーを敗った人が優勝する。」

この2つの伝説のどちらが正しいのか証明できた。
どうやら
「クレーコートのマスターズをその年とった人が優勝する。」
が、正しかったようだ。

さてさて…
近頃フェデラーの負けが多くなってきたもののグランドスラムでは相変わらず強さを発揮していたが、今回は残念な結果になってしまった。
完全に、「フェデラー、ナダル独占時代」の終幕といっていいだろう。


それと同時に、中堅層が非常に力をつけてきたと言えるだろう。
ジョコやマレー、デルポ、ロディック、ダビデンコなどと言ったトップ選手の成績が安定しないのは、紛れもなく中堅層が強くなったことの証だろう。

デルポはUSオープンも欠場するほど怪我が長引いているようだが、今週からデンコは復活。
彼は、芝は強くないから北米ハードコートシーズンからさらなる混迷期に突入するでしょう。
posted by もーすけ at 21:09| Comment(2) | テニス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月05日

目的は何?もう一度考えよう

「米文学購読」という授業が学校である。
授業スタイルとしては、プリントが配られ予習をしてきて授業で背景知識も含めながら解説という実にシンプルな授業。
先生も優しく甘めというのもあり多くの生徒にはどうやら関心がなさそうな感じ。
受講者数もだいぶ減ってきた。
しかし、ぼくはいつも案外楽しみにその授業を受けているものだ。

授業では最初から最後まで読むことはできないので、ある部分だけを授業で扱うのであるが、当然前後関係がないため読み辛い。
そういったこともありぼくは映画を見たり、本を買って読んでみたりとして予習なりしていた。

それをある人はこういった。
「それってせこくない?」

ちょっと待てよ…?
それは違うんではないか?

まずいつも自分の都合でサボってるやつにいわれたくないのと…笑(まあこれは置いておいてw)

それから、
ろくに英文も読まないでそこのところを誰かの書いた日本語訳をよんで終わり。
それだったら「せこい」と言うのもわかる。
それは、単なる「単位のためだけの勉強」になるからね。

なんのための勉強で、なんのために勉強しているか改めて考えて欲しい。
ぼくは「米文学購読」ということで、その文学を味わいたいし、作者とコミュニケーションをとりたい。
そのためには、色々な背景や作者自身のことについて知る必要もある。
そういった表面的だけでなく追究していくことこそ「勉強」ではないのだろうか?

別に自分に自惚れているわけでも、自分が優れているなどと思っているわけではない。
もう一度、なんのための勉強なのか、みなさんにも考えてもらいたい。
posted by もーすけ at 01:21| Comment(1) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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